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読後の感想

2009-11-01

「プリズムの夏」 の読後

集英社文庫 / 関口 尚

高校三年生の主人公とその友人は、不思議な雰囲気を持つ年上の女性に恋心を抱く。二人が偶然見つけたブログのうつ病日記の作者が彼女ではないかと疑いを持つうち、日記の内容はだんだんと深刻になっていき..。

「うつ」と「ブログ」といういかにも現代的なトピックを扱った小説です。主人公たちにいまいち感情移入できなかったのは、彼らの年からかけ離れてしまったためなのか。それとも「ブログ」というものの概念が、私の中でしっくりくるほど汎化されていないせいかもしれません。

話の中に、箏という古楽器が持ち出されるのは、少々わざとらしくもあります。でもデジタル化の傾向が強すぎる今の世の中に対抗するにはそのくらいアナクロな小道具を配する必要はあったのかもしれません。それに、そういった部分でようやく現実感をとりもどして、ホッと安心できる気がします。

2009-10-28

「G ボーイズ冬戦争 - 池袋ウエストゲートパーク<7>」 の読後

文春文庫 / 石田 衣良

池袋最大の少年グループ G ボーイズは完璧なカリスマ性を持ったキング・タカシによって強い結束を保っていたが、グループの No.2 が反旗を翻す。池袋で果物店を営むトラブルシューター・マコト、はたして彼はグループ抗争の惨劇を止めることができるのか。表題作他 3 編。

見た目はさえないが、人情に厚くて実は頭の回転が速いマコトの活躍ぶりが楽しみなこのシリーズ。冷酷なガキの王・タカシが、マコトにだけ見せる友情が今回の見せ場です。この手の話は小説や物語で何度もお目にかかるのだけれども、やっぱりいいものですね。

池袋ウエストゲートパークシリーズは、登場人物ごとのキャラクターがくっきり色分けされているし、主要人物は変わらないのでとても読みやすいです。池袋で起こるさまざまなトラブルが、各キャラクターの持つ最強の持ち札を組み合わせることで解決されていく快感がなんともいえません。石田衣良の作品は長編小説もいくつか読みましたが、このシリーズがやはり一押しです。

2009-10-26

「きいろいゾウ」 の読後

小学館文庫 / 西 加奈子

都会からはなれて田舎暮らしを始めた若夫婦、ムコさんとツマ。自然と会話することができる多感なツマと、そんな彼女を暖かく見守るムコさんとの穏やかな日々。しかし、ある日突然ムコさんが東京に出ていき、ツマの心は大きく乱されて ..。

お互いの心を求めてやまないのに、それを結ぶ糸はいつ切れるかわからないほどか細く危うい。不安定で繊細なツマの心の動きを追っていると、はらはらさせられます。あまりに好人物すぎる二人の、今後の生活に幸多いことを祈ります。

この物語のおもしろさは、ツマと村の人や動物たちとのふれあいにあるでしょう。いくつか登場する動物たちのなかでも、私は犬のカンユさんが好きです。ネーミングセンスがすっとぼけていていいですし、ツマに話す「言葉」がなんともいい雰囲気を出しています。家の近所で、とぼけた顔をした犬を見たりすると、カンユさんみたいな「言葉」をしゃべっているのかなあと思ってちょっとおかしくなります。

「終末のフール」 の読後

集英社文庫 / 伊坂 幸太郎

小惑星の衝突による八年後の地球滅亡が予告されて五年。この世の終わりまで三年をむかえた人々の日常を書いたオムニバス。

自分だったらどうするかを考えずにはいられない物語です。周囲の状況にとらわれず自らの生き方を律して黙々とトレーニングにはげむキックボクサーの話が私は一番好きですが、そういう生き方にあこがれはするものの、自分には絶対に無理です。早々に絶望して命を絶つか、世間の争いごとにまきこまれてこの世から退場するかどちらかでしょう。

この物語のシチュエーションの怖さは、人生の残り時間に制限がかけられたことだけではありません。地上のありとあらゆる人たちが運命をともにするということ、そこには連帯感などといった肯定的な価値が生まれるわけでもなく、ただ個の喪失があるだけです。各々で違った価値観をもち、異なる人生を送ることが許されてきたのに、三年後に滅びるという共通の約束事によって、心の大きな部分で他人との画一化が強いられる。そういった状況にたまらない肌寒さを感じます。

広大な宇宙でのこと、ちっぽけな地球とこれまたちっぽけな小惑星との八年後の衝突が正確に予測されたという設定には少々無理がありますし、それだけの時間があれば何らかの対策を人々が必死になって講じている気がします。でも、その程度のケチは、この物語のおもしろさに影をおとしません。気になるのであれば、八年後に来る世界の終末を他の何らかの形で仮定して読んでもよいのです。

2009-10-23

「夜のピクニック」 の読後

新潮文庫 / 恩田 陸

高校三年生の貴子と同じクラスの融はある事情でお互いに敬遠しつつも、相手のことが気になってしかたがない。「歩行祭」は全校生徒が夜を通して 80 キロを歩き続ける、高校の伝統行事。この行事の間に貴子はある賭けをするが..。

はずかしくなるほどいっぱいの「青春」がつまった小説です。でもそんな感想は「いい歳をしたおっさんが..」と自らを揶揄するようになった人間の照れ隠し。自分が高校生のときは、この物語に出てくる生徒たちの誰かと同じことを感じ、生活していたのだろうなと思うと、昔の友人に出会ったような懐かしさを覚えました。

むろん、高校時代は無線とパソコンにあけくれていた自分のこと、主人公たちのような花のある話とは縁がありませんでしたが。それでも、物語を読むにつけ、彼らのものの見方や考え方につかの間共感していくのです。それは、大勢の生徒と共にほとんど徹夜で長い距離を歩き続けるという状況 - 足がぱんぱんに張って、頭がもうろうとして、でもちょっとハイになって - という一種特有な状況がリアルに描写されており、そこに自分の記憶のなにかが同調するからなのかもしれません。

日々の生活に追われ、殺伐とした気持ちのときに読むと、否定的な感想を持ってしまうかも。ふと肩の力がぬけて、心が軽くなったときに楽しめる物語です。

「太陽の塔」 の読後

新潮文庫 / 森見 登美彦

大学三回生の主人公。失恋した彼女のことがあきらめきれず、後を追って行動を記録する日々。失恋男と、彼をとりまくおかしな友人たちの物語。

やっていることはストーカーなのですが、そこにいやらしさを感じないのは、あまりに世間ずれしない主人公とその友人たちのおバカさ加減のおかげかもしれません (女性読者は別の感想を持ちそうですが)。大声で叫んでまぎらわしたいほど恥ずかしくて切ないのに、でもどこか甘いこの感情には、多くの男性諸氏が一度はふりまわされるものでしょうか。特に女っ気とは縁がない理系の学部や職場に籍を置いている人は、女性との接し方がまるで分からないこの物語の主人公にどっぷり感情移入することでしょう。彼女の誕生日プレゼントに、電動で手を振る招き猫を送って顰蹙を買うあたり、私もやりかねないなと苦笑してしまいました。でも正直なところ、このプレゼントの何が悪いのか、未だにわからないのです (さらに苦笑)。

古典名作の調子を真似た文体をところどころに配しているのはご愛嬌。歴史的なことがら以外で京都の風景を描写した小説を読んだのはこのところなかったので、そういった点でもずいぶんと楽しめました。

ところで最後のシーンは、失恋が決定的になるところと解するのが一般的なようですが、そこがきっかけでよりが戻ると期待するのは、主人公に思い入れてしまった読者のはかない希望でしょうか。

「となり町戦争」 の読後

集英社文庫 / 三崎 亜記

町役場から届いた任命書で、となり同士の町が戦争状態に入ったことを知る主人公。表面上はごく普通の日常なのに、自分の知らないところで確実に戦争は進み、人が死んでいく。

戦後、二十年以上たってから生まれた私にとって、戦争は自分が知らない他人ごと、単なる昔話であったり、(心理的に) 遠い外国で行われる悲劇にすぎないところがあります。この作品は、そういった「自分が知らない」という状況はそのままに、生活のごく身近なところまで「戦争」を引き寄せたものです。

ストーリーもおもしろいですが、主人公のお目付け役になった町役場の女性職員の描写がとてもいいです。周りの状況を何もかも受け入れて自分の感情を殺している様がなんとも悲しくいとおしく感じられます。

日常のとなりにある戦争を書いた小説では筒井康隆の「東海道戦争」があって、シチュエーションの不気味さという点で同じ匂いを感じます。でも、「となり町戦争」は非常に繊細で悲しげな人の感情を扱っており、まったく異なる読了感をあじわえます。

「クワイエットルームにようこそ」 の読後

文春文庫 / 松尾 スズキ

薬の過剰摂取で生死の境をさまよった主人公は自殺をうたがわれて精神病院へ。一刻も早く退院したい主人公の悪戦苦闘と、周囲の人間模様。

軽妙でユーモアたっぷりの文体と登場人物たちのドタバタぶりが可笑しくてクスクス笑いながら読み進むのですが、内容は深刻です。何が正気で何が狂気なのか分からなくなる不安。不遇な立場から脱出しようともがけども出口がみつからない焦燥感。文中に出てくるエッシャーのジグゾーパズルがそんな心理状態を的確に象徴します。

エンディングでは、初めに笑った反動も相まって、なんともいえないさびしさと虚無感が心に残ります。元気な人にとっては良質なエンターテイメント小説ですが、心に不安を持っているときにはおすすめできません。

2009-10-22

「二十一世紀に生きる君たちへ」 の読後

首相官邸キッズルーム / 司馬 遼太郎

歴史小説の大御所、司馬遼太郎が小学校六年生の国語の教科書のために書いた、子供たちへのメッセージ。

多くの人がこれを読んで、感動したと言います。でも私の意見はまったく違います。彼は最後に来てなんという駄文を書いてしまったのかと。

多くの司馬ファンの例外にもれず、私も「竜馬がゆく」で幕末の風雲児の生き方に非常な爽快感を感じ、「坂の上の雲」では先人たちが歩んだ苦難の道に思いをはせ、感動した一人です。つい最近まで、文庫棚のほとんどは氏の小説で占められていたほど夢中になりました。今でも気に入った小説を読み返すことがあります。

彼の歴史小説からは多くのことを学びました。その歴史観が「司馬史観」と呼ばれて賞賛される一方、強すぎる影響力と公平さを欠いた歴史評が非難されるようになっても、司馬遼太郎の小説はやはりおもしろく、魅力的です。それらに出てくる人間たちの生きざまは、私の脳裏に強くやきついています。

しかし、私がもし「二十一世紀に...」を先に読んでしまったら、そのほかの小説を読む気にはなれなかったでしょう。私にとってこの文章は、単なる歴史好きなじいさんのくどくどした説教にしか映らなかったからです。「強くなりなさい」「人にやさしくなりなさい」、言いたいことはもっともだ、でも、こんな陳腐な言葉が人の心の中にしみていくものなのか。彼は歴史小説ですでにもっと深いことを伝えるのに成功したのではなかったか。子供たちが、この文章に嫌気がさして、彼の他の小説を敬遠しないか気がかりでなりません。

彼は歴史小説というすぐれた手段を通じ、さまざまな人の生き方を表すことで、世の中の価値観や人生の意味 (あるいは無意味) を雄弁に伝えてきました。それなのになぜ、晩年になってこのようなつまらない文章を書いたのでしょうか。もしかすると、あせってしまったのかもしれません。世界に問い、働きかける時間が、これ以上自分に残っていないことに。しかし、氏のファンの一人としては、彼が最期に単なる説教ジジイになってしまったことが涙がでるほどくやしいのです。

2009-10-21

「獣の奏者 (I 闘蛇編, II 王獣編)」 の読後

講談社文庫 / 上橋 菜穂子

タイトルは NHK のアニメで知っていましたが、内容は、不思議な力を持つ少女と獣とのふれあいということしか知りませんでした。よくありそうな設定だし、子供向けのお話なのかな .. と思っていたら、大間違い。文庫を読み始めたらすっかりはまってしまいました。

戦士を乗せて闘うようしつけられた大きな蛇・闘蛇と、それを天敵とする力強く気高い獣・王獣。そういった生き物たちと深く関わることになった少女と、世の権力争いとのからみあい。書かれている世界はとてもシビアで、残酷です。人と獣が決して理解しあえないという絶望感は、読んでいるだけで苦しくなります。

このような虚構の世界に読者を導くのに不可欠な、舞台描写がまたとてもいいです。主人公たちが暮らす国とその歴史、組織の体制と歪みなどが臨場感をともなって伝わってきます。なによりもいいのは、この世界に特有の言葉とその音です。真王 (ヨジエ)、大公 (アルハン)、堅き盾 (セ・ザン)、霧の民 (アーリョ) など。音はありませんが、闘蛇や王獣という名前もとてもいい。こういった言葉を目にし心の中で音にするだけで、世界にぐっとひきこまれる気がします。

上橋菜穂子の小説は「守り人」シリーズも有名で、こちらもずいぶんおもしろく読んでいますが、「獣の奏者」はそれ以上に惹きこまれた話でした。

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